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オリーブオイルについて

本格的に日本へ進出する場合、ヨーロッパでもそうしたように、豊富な資金力にものをいわせて、日本車メーカーを買収すればいいと考えていた。 ヨーロッパの自動車メーカーにも、極東の国・日本はあまりにも遠かった。
投資効率も悪く、リスクが大きかった。 なにかと理由をつけて自由化を遅らせようとする通産省の産業政策と、こうした外国メーカーの消極的な姿勢にも助けられて、日本の自動車産業はさして外資の脅威にさらされることもなく、高度成長の波に乗って急速な発展をとげていくことになる。
日本とドイツの自動車産業にとって、六0年代は、自動車王国アメリカへの大々的な進出を果たし、一方的な拡大基調をとる、よき時代だった。 を受け入れたアメリカの自動車産業にとっても、過去最高の売り上げと利益を記録し、わが世の春ともいえる時代だったそれと並行して、自動車の発明以来、初めて負の部分が噴出し、大きな社会問題を提起する時代ともなった。
車に対する認識が大きく変わりはじめたのである。 車は利便性、経済効果など、正の要素だけを提供するものではなかった。
台数の急増にともなにもなりうるし、自然環境や人間の生活環境を悪化させるやっかいものでもあることがクローズアップされはじめたのである。 そうした流れの発端は、六0年代半ばのアメリカで起こった。
のちにGM社長となるエドコールが開発責任者として自信をもって世に送り出した新しいコンパクトカ1―「コルベア」の欠陥車問題がそれである。 GMにしては珍しくリア・エンジンを採用した野心的な設計の「コルベア」のステアリングに欠陥があり、事故が多発した。

GMはこの事故をひた隠しにして、欠陥を認めようとはしない一九六六年、当時三十二歳の青年弁護士ラルフ・ネ-ダ-の著書『どんなスピードでも自動車は危険だ』が刊行された。 彼は「アメリカを毒する異端のジプシーの一人」と言われながらも、「コルベこのとき、GMは「コルベア」の欠陥車問題で百三件の訴訟を抱えていた。
それに影響がおよぶことをおそれて、強気の姿勢を崩そうとはしなかった。 後も執助に批判しつづけるネーダ-に、GMは個人攻撃で対抗しようと、スキャンダルのネタ捜しのため、探偵を雇って尾行をさせたりした。
が発覚したことで、マスコミの格好のネタとなり、GMはさらに非難を浴びることになる。 アメリカ議会では公聴会が聞かれるまでになった。
この事件は、「ビジネスウィーク』誌が「戦後最悪の企業の失態の一つ」と評したほどだった。 自由主義経済を基本とするアメリカの最大企業であるGMが、政府の立ち入り調査を受けただけでも、大きな汚点だった。
アメリカを代表する巨人に、真正面から立ち向かうという無謀な挑戦ができたともいえよう。 やがて、GMは非を認め、四十万ドルにものぼる補償金の支払いに応じ、時のGM会長ロ-チェが議会の席上で陳謝して、ようやく決着をみるにいたったこの判決以降、車の欠陥が発見されたときには、企業に届け出と公表する義務が生じることになった。
ケネディ政権下で消費者保護法が制定され、欠陥車を回収するリコール制度も確立されて、企業の社会的責任が問われる時代になった交通事故の激増が社会問題化して、一九六六年にはハイウエー安全法も制定されたそれ以前には、自動車の安全性に対するメーカー側の配慮はまったく希薄だった。 先の欠陥車問題におけるGMの姿勢にしても、なにも特別なものではなく、他のメーカーにも共通していた。
当時、売り手市場で、最高の利益をあげていたかビッグ3が、消費者に対して倣慢になっていたこともあるが、社会通念上も、事故の責任の大半はドライバーに帰するとの考え方が基本だった。 商品の欠陥にともなうリスクは、ユーザーが一方的に背負わされるのが当たり前で、いわば、「運が悪かった」ですまされていた。
ネ-ダ-の『どんなスピードでも自動車は危険だ』は、次のように指摘している。 提起された問題に対処するより、批判を無視する能力によって社会的責任を免れてきたのが、安全性問題に対する自動車業界のまでの姿勢なのである」「自動車事故に関連する産業の中で、事故の防止のために尽力している部門はほとんど見当たらない」とも指摘している当時、自動車王国のアメリカでさえ、根本的な事故対策に関しては、公共機関などの手にゆだねられていた。

一九六四年のアメリカにおける自動車事故による死者数は四万七千七百人、負傷者は四百万人にものぼっていた。 ネ-ダーによれば、「この調子でいけば、米国人二人に一人は自動車事故で傷ついたり死んだりすることになる」列車、船舶、航空機などを含めたあらゆる輸送機関による事故での死者数では、自動車事故によるものが全体の九二パーセントを占めていた(負傷者にいたっては九八パーセント)。
もはや一企業とか、個人の生命を守るといった次元を超えて、社会的、国家的な損失として論じる段階にきていた。 事実、この年、アメリカのハイウエーにおける事故による損害、物的損害、医療・保険費、被害者の賃金などを合わせた損害額は、八十三億ドルにものぼっていた。
にほぼ同額の間接費を加えると、国民総生産の二パーセントにもおよぶこの膨大な損害額に対し、メーカーはなんら責任を負っていなかったのである。 安全対策の研究に力を入れることもせず、ただ売らんがためのモデル・チェンジを繰り返しているだけだった。
安全についての情報が大衆には与えられていないだけでなく、「自動車の革新に対する大衆の期待は巧妙におさえられ、大部分は年々のモデル・チェンジに対する興味とすりかえられている」からだと指摘している。 メーカーは、目先を変えて新たな需要を生み出そうと、人目を引くスタイリングにばかり力を入れまいしんで、儲け第一主義の姿勢で遭進してきた。
そうした派手なコマーシャルが、消費者の目をくもらせていたのである。 ベンツにおける安全性への取り組みこの時代、ユーザーの安全性に対する意識も希薄だった。
事故によってこうむる損害より、車を手に入れたいとする気持ちのほうがはるかに勝っていたからだ。 安全性への配慮は、新車購入時の選択肢には入ってはおらず、スタイリングや、必要以上なまでの馬力の大きさにばかり目を奪われていた。
安全性に関する情報がなかった。 そうした姿勢は日本でも同じだったが、ただ、ベンツやスウェーデンのボルボなど、ヨーロッパの一部のメーカーでは、このころから安全対策に真剣に取り組むようになっていた。
たとえばベンツでは、十分とはいえないまでも、一九五三年にすでに、衝突時の衝撃を吸収するためのクラッシャプルベンツでは、安全性に対する配慮によって、他のメーカーとの違いをきわだたせるという経営戦略を徹底させ、一九六九年一月には、安全対策はメーカー側の研究・実験だけでは不十分であるとして、ドイツ政府と警察に交通事故の調査助力を求めた。 ベンツ車にかかわる事故が起こった場合、警察は必ずベンツに電話で通報する、ベンツは警察に対して、事故の記録を閲覧し、情報の提供を求めることもできるという内容である。

個人のプライバシーにもかかわることだけに、こうした権利が民間企業に認められたことは、世界的にみても非常に珍しい例である。 それだけ信頼性が高かったということだろう。

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